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津地方裁判所 昭和35年(ワ)91号 判決 1963年1月24日

原告 清水清明 外二名

被告 設立中の財団法人清水育英会 外二名 補助参加人 清水英一

主文

一、被告三桝紡績株式会社及び被告設立中の財団法人清水育英会との間において、原告らが、別紙目録(一)<省略>記載の株式につき、各四分の一の共有持分を有することを確認する。

二、右被告らは、原告らに対し、右株式を引渡せ。

三、被告三桝紡績株式会社は、原告らに対し、それぞれ金一九六、四三四円及び内金九八、二一七円につき昭和三三年一一月二九日から、内金九八、二一七円につき昭和三四年五月三〇日から、いずれも支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

四、被告三桝紡績株式会社及び被告広瀬英利は、原告らに対し、別紙目録(二)<省略>の株式を引渡せ。

五、被告広瀬英利は原告らに対し、

(1)  財団法人三桝育英会設立許可申請書(但し昭和三一年一二月二五日附財団法人三桝育英会設立代表者清水千代二郎作成のものであつて財団法人三桝育英会寄付行為書を編綴したもの)

(2)  清水千代二郎名義株式会社東海銀行伊勢支店普通預金通帳(但し昭和三一年一一月二七日金二〇万円預入れのもの)を引渡せ。

六、原告らのその余の訴は、いずれもこれを却下する。

七、訴訟費用は、被告らの負担とする。

八、この判決は、第三項については、原告らにおいて、それぞれ被告三桝紡績株式会社のために金五万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

第一、申立

一、原告ら、

被告三桝紡績株式会社(以下単に被告会社という)及び被告設立中の財団法人清水育英会(以下単に被告財団という)との間において

「(一) 原告らが、別紙目録(一)記載の株式につき、各四分の一の共有持分を有することを確認する。

(二) 被告会社は、右株式につき、原告ら三名及び被告ら補助参加人清水英一(以下参加人清水英一という)四名の共有名義に書換えよ。

(三) 被告らは、原告らに対し、右株式を引渡せ。

(四) 被告会社は、原告らに対し、それぞれ金一九六四三四円及び内金九八、二一七円につき、昭和三三年一一年二九日から、内金九八、二一七円につき、昭和三四年五月三〇日からいずれも支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(五) 訴訟費用は被告らの負担とする。」

との判決並びに右第三項第四項につき、仮執行宣言、

被告会社及び被告広瀬英利との間において

「(一) 被告会社は、別紙目録(二)記載の株式につき、原告ら三名及び参加人清水英一四名の共有名義に書換えよ。

(二) 被告らは、原告らに対し、右株式を引渡せ。

(三) 被告広瀬英利は、原告らに対し、

(1)  財団法人三桝育英会設立許可申請書(但し昭和三一年一二月二五日附、財団法人三桝育英会設立代表者清水千代二郎作成のものであつて、財団法人三桝育英会寄附行為書を編綴したもの。以下三桝育英会設立許可申請書という。)

(2)  清水千代二郎名義株式会社東海銀行伊勢支店普通預金通帳(但し昭和三一年一一月二七日金二〇万円預入れのもの。以下本件預金通帳という。)

を引渡せ。

(四) 訴訟費用は、被告らの負担とする。」

との判決並びに右第二項ないし第四項につき、仮執行宣言。

二、被告ら

(本案前)

本件訴をいずれも却下する。

訴訟費用は、原告らの負担とする。

(本案)

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は、原告らの負担とする。

第二、原告の主張

一、(一) 原告清水清明、同溝口花子、同米倉静栄及び参加人清水英一は、昭和三三年四月二二日東京で死亡した訴外清水千代二郎(以下亡千代二郎という。)のそれぞれ次男、次女、長女、長男である。右亡千代二郎は、被告会社の創立者であり、死亡するまで同会社の代表取締役であつた。

(二) 原告ら三名及び参加人清水英一は、亡千代二郎の死亡と同時に、その遺産を共同相続し、同人の所有であつた別紙目録(一)、(二)記載の株式ならびに前記三桝育英会設立許可申請書、亡千代二郎の預金通帳(以下亡千代二郎の株式等という。)を共有するに至つた。

(三) 従つて、別紙目録(一)記載の株式及び右株式についての千代二郎死亡後の配当金(うち昭和三三年一一月二八日被告会社第二一期株主総会及び同三四年五月二九日同第二二期株主総会に於ける利益金処分の各決議にもとずく配当金は、各三九二、八六八円-一株額面五〇円に対し三円七五銭の割合-の合計金七八五、七三六円)については、原告ら三名が各四分の一の割合で共有持分を有しているわけである。

(四) なお右の預金通帳は、亡千代二郎が別紙第二<省略>の財団法人三桝育英会設立の為の寄附行為に於てその出捐財産とした二〇万円を預金した預金通帳のことであり、三桝育英会設立許可申請書は、右財団設立について、亡千代二郎名義の寄附行為書をつづつたものであつて、文部省から修正補完の為のため亡千代二郎あてに返戻されたものである。

二、ところが被告財団及び被告広瀬英利は、本件株式等を占有し、財団法人清水育英会設立準備委員長広瀬英利名義に本件株式の名義を書換え、千代二郎死亡後に開催された被告会社の株主総会においてその議決権を行使してきた。

三、よつて、原告らは、原告三名及び参加人清水英一に属する本件株式等の共有財産についての持分権及び保存行為にもとずいて、被告らに対し、本件株式等の引渡し、本件株式の名義の書換え、別紙目録(一)記載の株式について、持分権の確認、配当金及びこれに対する各支払い期日の翌日以降支払済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めるため、本訴請求に及ぶものである。

なお、被告財団は、本件株式をその所有とし、この名義を被告財団代表者と称する被告広瀬英利の名義に書換えたうえ、文部省に対して、その設立許可申請をしており、又被告広瀬英利が千代二郎死亡後、被告財団設立準備委員長広瀬英利名義で右株式にもとずく議決権を行使しているので、民事訴訟法四六条に該当する財団と考え、本訴を提起したものである。

(本案前の主張について)

四、相続財産の共同相続人による管理使用収益処分については、別段の規定がないので、共有に関する民法二四九条以下の規定が適用される。従つて保存行為、管理行為は、共有者のうちの一人が単独でなしうるものである。

五、本件株式等は、亡千代二郎の遺産であり、原告ら及び参加人清水英一が共同で相続し、各々四分の一宛の持分を有しているものであるが、被告らは、本件株式等を占有し、財団法人清水育英会設立準備委員長広瀬英利名義に本件株式の名義を書換えて、原告らの権利の行使を妨害している。したがつて、原告らは単独で被告らに対し保存行為として、本件株式等の引渡し、その名義の書換え、配当金の支払いを請求する権利を有するもので、これらを求める本訴請求が必要的共同訴訟ではないこと論を待たない。

(被告らの主張の亡千代二郎の遺言について)

六、亡千代二郎が、昭和三一年一月一三日、財団法人清水育英会の設立を目的として、別紙第一<省略>記載のような公正証書遺言書を作成したことは認めるが、その余の事実は否認する。被告広瀬英利らの本件株式に対する占有権限は、右遺言からは発生してこないものである。

七、亡千代二郎の公正証書遺言は、同人の生前処分によつて取消されたものである。

(1)  同人は、生前知人の訴外伊藤忠兵衛に右の遺言による育英財団設立の話をしたところ、同人から存命中に育英財団を設立することをすすめられたので、遺言による財団の設立をやめ、原告清水清明、被告広瀬英利訴外小林長世、同本田藤吉、同辻井正之、同吉田謙介、同吉田一郎、同紅林武衛及び同橋爪きんと共に同人等の賛同を得て、昭和三一年一一月二八日付で別紙第二記載の財団法人三桝育英会設立に着手し、その申請許可手続が、同年一二月二五日付で三重県教育委員会を通じて主務官庁である文部省に対してなされたが、千代二郎は、その手続中に死亡したのである。

(2)  この三桝育英会は、その目的、設立趣旨において遺言の清水育英会のそれと同一であり、出捐財産は遺言のそれの一部である亡千代二郎所有の三桝紡績株式会社の株式二〇万株と現金二〇万円であつた。

(3)  これによれば、亡千代二郎は、遺言による財団法人清水育英会の設立をとりやめ、生前に三桝育英会設立のための寄附行為をしたのであるから、遺言による亡千代二郎の寄附行為は同人の生前行為による寄附行為と抵触し、遺言は、これにより取消されたものといわなければならない。遺言が取消された以上は、その遺言の執行者なるものは存在しないから、被告広瀬英利が、遺言にもとずいて、本件株式を占有しているとの主張は理由がない。本件株式は、千代二郎の死亡と同時に原告らが相続し、共有となつたものである。

八、被告らの主張八について

(1)  右の亡千代二郎の生前寄附行為が文部省で設立不許可処分になつたことはない。もつとも、その設立許可申請書につき、同人宛昭和三三年三月二四日附の書面で文部省学生課から財団理事中被告会社の役職員との兼職理事の減員と運用財産二〇万円を更に三〇万円増額して申請するよう示唆して、その修正補完のため便宜上申請書類が返戻されたことがある。しかしこれは財団法人三桝育英会設立の不許可処分ではない。

亡千代二郎は、昭和三三年三月二四日附の「財団法人三桝育英会の設立について」と題する文書を文部省大学学術局学生課から受取つた後、二〇日位後に東京で急死した。この文書は、寄附行為の字句を訂正し、運用財産二〇万円を文部省の従来の方針により最低額たる五〇万円とし、役員構成につき、同一会社の役職員が法人役員数の三分の一以下となるように修正して、文部省に送付すれば、財団の設立を許可する旨記載されている。

しかも、右の亡千代二郎の生前寄附行為の申請書類の返戻は、不許可の権限のないものによつて、行政指導のためなされたものである。文部省組織法によれば、財団法人設立申請に対する設立許可の権限は最終的に文部省が有し、不許可の処分は、官房総務課長がこれをなすことになつており、行政処分(財団法人設立の許可、不許可の処分は行政処分である。)は法令にもとずき、これをなす権限を有する者によつてなされなければ成立しないのである。本件書類の返戻は、文部省の財団法人設立について許可、不許可の権限ある者によつてなされたものではないから、不許可処分ではない。

又書類の返戻理由は、設立目的及び資産が財団法人の本質に適合しないことを理由とするものではない。一つは役員の構成を修正することであり、他は運用財産の増額である。いずれも補完の許される附随的事項である。

(2)  仮にこの書類の返戻を不許可処分であるとすれば、被告らが申請した遺言寄附行為にもとずく財団法人清水育英会設立許可申請書も昭和三四年六月二九日基本財産の帰属が明確でないとの理由でその設立許可申請書を返戻され、不許可処分を受けているから遺言寄附行為が何らかの理由で有効であるとしても右の理由で効力が失われている。

(3)  従つて、被告らの亡千代二郎の生前寄附行為が文部省の設立不許可処分によつて存在しなくなつているとの主張は理由がない。

九、被告らの主張九について、右の亡千代二郎の生前寄附行為にもとずく財団法人三桝育英会設立許可申請書類が文部省から返戻されたため、同人は生前、寄附行為をする意思を放棄し、遺言寄附行為で財団法人を設立する意思になつたとの被告らの主張は否認する。

(1)  被告らは、亡千代二郎が右の財団法人三桝育英会設立許可申請書が返戻されたときに、被告広瀬英利や訴外辻井正之に対して生前寄附行為による財団法人三桝育英会の設立をやめて、遺言で設立してほしい旨述べたと主張するが、一たん生前に企図した三桝育英会の設立を、わずか三〇万円の運用財産の増額のために、これを放棄したとは考えられない。亡千代二郎は、その当時、配当金だけで、半期に一一四万円の収入があり、当時の時価一、〇〇〇万円を超える財産を寄附しようとしていた者が、このような小額の金員が必要だからといつて、生前の寄附行為をやめるということは到底考えられないところである。

(2)  しかも、同人は、文部省から申請書類の返戻があつたときに、運用財産として、最低五〇万円必要であることがわかつたのであるから、その記載の全くない遺言で育英財団を設立することは、できないことを知つたわけであるから、もし、遺言で設立しようというのであれば、新しい遺言書を作成するとか、もしくはこれをしようとした徴表がなくてはならないのに、そのようなものは全くない。

(3)  亡千代二郎は日頃から尊敬していた訴外伊藤忠兵衛のすすめによつて、生前に三桝育英会の設立に着手しながら、わずか三〇万円の出捐が惜しくて生前の財団設立をやめたとすれば、亡千代二郎の訴外伊藤忠兵衛に対する面目は丸つぶれになり、ひいては同人から被告会社に対する助言や援助が得られなくなるおそれがある。

(4)  従つて、亡千代二郎が生前寄附行為をやめて、遺言で財団を設立しようとしていたとの旨の被告らの主張は理由がない。

一〇、亡千代二郎は、その子息達のことを考えないで財団を設立しようとしたのではない。このことは、遺言執行者に参加人清水英一を加え、又生前寄附行為のときには、原告清水清明を理事予定者として、いずれもその子息を財団の理事予定者としていることよりしても明白である。亡千代二郎は、自己の持株を財団に寄附して、自己の死後も株をちらさないようにし、被告会社の健全な隆昌と自己の遺族の安泰を期していたのである。

一一、仮に亡千代二郎の生前寄附行為による財団法人三桝育英会設立許可申請書類の文部省からの返戻が不許可処分であるとしても、同人の遺言は復活しない。

(1)  寄附行為は、財団法人を設立するための要式の単独行為である。必要的記載事項は、原則としてその一つを欠くことも許されない。又寄附行為は書面行為であるから、第一の寄附行為がなされた後、その内容を変更した場合、又内容に変更がなくとも、第二の寄附行為がなされたときは、両者は形式上全く別個の行為となるのである。しかも寄附財産の基礎が同じときは、いずれを有効とすべきかは、寄附行為者の意思を解釈して定めなければならない。

(2)  亡千代二郎が、育英財団の設立を目的とする遺言寄附行為をした後、同一趣旨のもとにその基本財産に変更を加えて、生前寄附行為をした場合に、両寄附行為は、相抵触するものといわなければならない。けだし亡千代二郎には、同一趣旨の二個の育英財団を設立する意思はなかつたからである。このことは前記の生前寄附行為をするに至つた経緯や、その内容につき、目的、資産、名称、理事を変更していることからも明白である。

(3)  そこで、右の見地から、遺言の復活しないことをふえんする。民法一〇二五条は「前三条の規定によつて取り消された遺言は、その取消の行為が、取り消され、又は効力を生じなくなるに至つたときでも、その効力を回復しない。」と規定している。本件において、生前寄附行為は民法一〇二三条二項の抵触処分であるから、この財団設立申請に対する文部省の不許可処分が確定したとすれば、同法一〇二三条、一〇二五条の適用の結果、生前寄附行為は文部省の不許可処分の確定により「効力を生じなくなるに至つた」ことになるが、これによつて遺言は効力を回復するものではなく、この場合には、二個の寄附行為は、いずれも効力がなくなるのである。

一二、被告ら主張の同一方向論、法定条件論、復活論について

(1)  同一方向論について

亡千代二郎の遺言も生前の寄附行為も同じく一つの財団法人設立を目的とする寄附行為である。ところで、寄附行為は、それだけではその法律効果を生ずるものではなく、主務官庁の許可をまつて、財団法人の成立という効果が発生するものであるから、主務官庁の許可は寄附行為のいわば法定条件をなすものであるが、しかしその許可前においても、寄附行為という法律行為はすでに完全に成立しており、寄附行為者の意思は確定的に外部に表示されているのであつて、被告らが主張する如く、遺言の目的を達するために、生前寄附行為がなされたからその目的が達せられない限り、遺言は取り消されないということはできない。

しかも亡千代二郎は遺言を存続させる意思がなかつたことは前記の通りである。

また被告らのこの主張は、寄附行為者が遺言で寄附行為をした後、生前寄附行為をして、その手続中に死亡した場合、どちらで設立手続をすればよいのかわからなくなるという矛盾がある。生前寄附行為の遂行は遺言の執行ではないから、この場合には遺言執行者は何の権限もない。

(2)  法定条件論について

寄附行為は、条件付法律行為ではない。条件付法律行為をした者が、その法律行為に附款をつけてその効力の発生を制限するものであるが、財団法人設立についての主務官庁の許可不許可の処分は、法定条件といわれているけれども、行為者の意思とは全く無関係のものである。この場合亡千代二郎の行為としては全面的に法律行為の効果を欲しており、ただ外部からの許可、不許可によつて、その効力が左右されるのである。

(3)  復活論について

遺言寄附行為は、それと抵触する生前の寄附行為によつて、撤回されるのであり、それが主務官庁の設立不許可処分によつてその効力を失うときは、当然に民法一〇二五条の遺言の効力は復活しないことになることは、右に述べたとおりである。民法は死亡者の意思が、遺言を復活させる意思かそうでないかの認定の困難を考慮して遺言非復活主義を規定しているのである。

第三、被告らの主張

(本案前)

一、被告財団には当事者能力がない、従つて、被告財団に対する本件の訴の部分は不適法である。

二、(一) 原告らの本訴請求は、その主張自体から明白なように、本件株式等が、亡千代二郎の死亡により原告ら三名及び参加人清水英一においてこれを相続し、その所有に帰したことを前提としている。

ところで、分割前の相続財産については、共同相続人の合有に属するものと解すべきであり、合有に属する財産に関する訴訟は、すべて必要的共同訴訟として、共同相続人全員が訴訟の当事者とならなければならない。しかるに、本件株式等は、分割前の相続財産であつて、原告ら三名と参加人清水英一の合有に属するものであるにもかかわらず、参加人清水英一が原告として訴訟の当事者となつていないから、本件訴訟はいずれも当事者適格を欠くものといわねばならない。

(二) 仮に相続財産が合有でなく、共有であるとしても、原告らの本件訴はすべて必要的共同訴訟であることに変りはない。共有物の引渡しを求める訴は保存行為として共有者の一人が単独でなし得ると考えられなくもないが、保存行為は裁判外の行為に限られるものである。けだし共有者は単独では持分権しか有しておらず、これについてしか管理処分権がない。管理処分権が共有物全部についてない以上は、その者に訴訟追行権はない理である。処分権のない者が保存行為をなし得るということは、訴訟追行権の根拠とはならないのである。

三、よつて本件訴は、当事者適格のない者によつて提起されたものであるから、本案の当否に立入るまでもなく、不適法として却下さるべきである。

(本案)

四、(一) 原告ら主張の一の(一)の事実は認める。

(二) 同一の(二)の事実中、本件株式が亡千代二郎の所有であつたことは認め、その余の事実は否認する。

(三) 同一の(三)の事実中亡千代二郎、死亡後の別紙目録(一)の株式についての被告会社の第二一期及び二二期の各利益金処分決議の日及び配当金の金額についての主張は認めるがその余は否認する。

五、(一)原告らの主張の二の事実は認める。

(二) 同三の主張事実は争う。

六、被告らの本件株式等の占有権限について、

(1)  亡千代二郎は、昭和三一年一月一三日、財団法人清水育英会の設立を目的として、別紙第一記載のような公正証書遺言書を作成した。被告らは、この遺言にもとずき、本件株式(等)を適法に占有しているのである。

(2)  被告広瀬英利は、右遺言の遺言執行者であり、遺言執行者は、遺言の執行のために、必要な一切の行為をすることができる。

(3)  本件において、遺言執行者である被告広瀬英利は、千代二郎死亡後、遺言の趣旨に従い、その明示する三桝紡績株式会社の株式三〇四、七六五株を保管し、その名義を財団法人清水育英会に移転し、引渡すべき義務を負つている。

右株式につき、設立中の財団法人清水育英会設立準備委員長広瀬英利に、これを引渡し、その名義を同人に移転することは、右設立中の財団法人が権利能力なき財団であつても、妨げにならない。亡千代二郎の遺言執行者が、財団法人清水育英会設立準備委員会を作ることも、本件株式の名義を同委員会委員長広瀬英利に書換えることも、すべてこの遺言の執行に必要な行為である。この反面相続人は、遺言の執行を妨げる行為をすることができない。被告広瀬英利は、前記遺言にもとずき、財団法人清水育英会設立のための許可申請をなし、この許可の日にそなえて、本件株式を三桝紡績株式会社の保管に委ねる方法で占有しているのであるから、亡千代二郎の相続人である原告らが遺言執行者である被告広瀬英利や、被告会社らに対して本件株式の引渡しを求めることは、遺言の執行を妨げるべき行為であつて、原告らはできないわけである。

(4)  右の理由で、本件株式は亡千代二郎の遺言の目的財産となつており、原告らが相続によつてその権利を取得するいわれのないものである。従つて、被告らは原告らに対して本件株式を引渡すべき義務はなく、又これを相続したことを前提とする本件株式のうち別紙目録(一)に記載した株式にもとずく配当金の支払義務もないわけである。

(5)  又被告らは原告らに対し三桝育英会設立許可申請書および千代二郎の預金通帳の引渡義務はない。

七、原告らの主張七について

(1)  右七の(1) の事実のうち、亡千代二郎が遺言をした後、訴外伊藤忠兵衛のすすめによつて、生前に別紙第二記載の如き財団法人三桝育英会の設立に著手したこと、および同(2) の事実は認めるがその余の事実は否認する。

(2)  遺言に抵触する生前処分は存在しない。

(イ) 民法一〇二三条にいう「生前処分」とは、遺言者がその生存中に遺言の目的物となつている特定の権利又は物についてなした処分をいうのであつて、その目的物が不特定物である場合には適用がない。而して本件株式は遺言をした時においても、その後生前に三桝育英会の設立に著手した時においても、不特定物であつた。いずれも亡千代二郎の所有していた三桝紡績株式会社の株式三〇万株又は、二〇万株と現金二〇万円というのであつて、これには、何らの限定もない。三桝紡績株式会社の株式はこれ以外にも存在する。例えば亡千代二郎が遺言後何らかの理由で、その所有株式を売却し、再び買い集めたことを想像すれば、これ株式を特定する由はないのである。従つて、亡千代二郎の生前行為は、本件遺言の目的物が不特定物であるから、これについての処分行為とはいえない。生前寄附行為が遺言寄附行為と同じ目的にでたものであるという理由だけで、その目的物の株式が同一であるから抵触処分であるということはできない。

(ロ) 仮に不特定物についても民法一〇二三条にいう生前処分となり得るとしても、亡千代二郎の最終意思としては、三〇万余株による育英財団の設立にあつたのであり、生前の財団設立行為は、遺言による三〇万余株の財団を設立する一過程、一手段として行われたものである。従つて右の生前処分が効力を達することなく終つたときには、遺言者の意思は遺言の実現にあると見られるわけであり、本件においては、正にこの生前処分が効力を達しないで終つているのであるから、民法一〇二三条の適用はないというべきである。

(ハ) 寄附行為は、主務官庁の設立許可があつたときに財団設立行為たる法律行為として成立し、同時に効力を発生するものであつて、それ以前には、単に意思表示として成立し、その効力を発生しているに過ぎない。従つて、それは、設立許可を法定条件としており、これがあるまでは、財産の処分行為とはいえないのである。本件において、亡千代二郎の生前寄附行為は、文部省から、設立許可がおりることなく終つているのであつて、遺言寄附行為に抵触する生前処分とはなつていないのである。

八、仮に亡千代二郎の遺言後の生前における三桝育英会設立のための行為が「生前処分」であるとしても、その設立許可申請書は、同人宛に文部省から昭和三三年三月二日附の書面で返戻されているから、文部省において、不許可処分を受けたことになるのであつて、これにより、「生前処分」は存在しなくなつている。

(1)  亡千代二郎の生前行為による財団法人三桝育英会の設立行為は、文部省より寄附財産の増額、変更を求められたものである。而してこの資産の増額ということは、設立者をして常に新たな意思決定を要する事柄であつてその変更は、寄附行為を改める必要を生ぜしめるものであるから、寄附行為における従属的な事柄ではなく、寄附行為の同一性を失わしめるものである。すなわち寄附行為において、財団の資産についての変更は認められないのである。従つて文部省からの設立許可申請に関する書類の返戻によるその要求にそうためには、別個の新たな寄附行為をなすことを要する。亡千代二郎は、この別個の寄附行為をすることなく、生前行為を打切りとして死亡したのである。寄附行為は要式行為であるから、書面を作成し、財産を出捐してなす、財団設立行為である。そしてこれは主務官庁の許可を目的とするものである。ところで亡千代二郎の生前寄附行為は、文部省の認めるところとならず、その目的は不到達に終つたのである。この官庁の不許可処分は、財団設立行為たる寄附行為を全く無意義なものとする。すなわち一たんは、寄附行為をしようという意思表示があつたが、財団は不許可処分により成立しないのであるから、財産処分行為としての法律行為は、全く存在しないことになるのである。又亡千代二郎が文部省の指示に従つて再申請することなく死亡したことは、同人が生前寄附行為の申請を取下げたものであるということができる。

而して右の場合、遺言と抵触する生前行為は、いずれも最初から存在しなかつたことになるから、亡千代二郎の意思にそうためには、その遺言で育英財団を設立する他なく、遺言の取消を考える余地はない。

(2)  もつとも、被告らの申請した遺言による設立に関する書類も文部省から返戻されているが、これは亡千代二郎の生前処分におけるような資産の増額を理由とするものではなく、単に寄附財産の帰属が不明であるため、これが確定するまで留保するということであるにすぎないから、不許可処分を受けたわけのものではない。

仮に、これが不許可処分であるとしても、それは寄附行為自体を無効にするものではない。寄附財産の帰属を明確にして、再び遺言による財団設立許可申請をすることができるのである。

(3)  亡千代二郎の遺言による寄附行為と、生前の寄附行為とは、寄附財産に相違はあつたが、育英財団の設立という全く同一の目的のもとになされたものである。亡千代二郎としては、ただ遺言による寄附行為を時期的に早めて、生前に財団設立行為に着手したにすぎない。従つて生前寄附行為による財団設立が不可能になつたときには、遺言によつて財団を設立する意思があつたというべきである。而して生前行為が文部省の不許可処分によつて、若しくは亡千代二郎の申請の取下行為によつて、不可能になつたのであるから、遺言によつて財団を設立する他はないのである。

九、亡千代二郎は、右の生前寄附行為にもとずく財団法人三桝育英会の設立許可申請書が文部省から返戻され不許可処分を受けたとき、生前寄附行為をする意思を放棄し、遺言で財団を設立しようという意思になつたのである。

(1)  亡千代二郎は、原告らが主張する如く、訴外伊藤忠兵衛のすすめによつて生前に財団の設立に著手したのであるが、亡千代二郎としては、遺言で財団を設立したいという意図であつたが、訴外伊藤忠兵衛のすすめもだしがたく、不本意ながら生前寄附行為による財団設立に着手したので、これに対しては熱意はなく、真意は遺言による財団設立を意図していたのである。亡千代二郎は生前の財団設立の申請が文部省において不許可処分を受けたとき、これで訴外伊藤忠兵衛に対する顔むけができたと被告らに言い、更に信託によつて財団設立ができるか否かを研究したことがあるが、相続人らによつて取消すことができることがわかつて、やめたことがある。そして被告側の者に対して生前に財団を作ることはやめ遺言で設立してほしい旨言つたことがある。このように亡千代二郎は、その相続人らに本件株式を相続させたくなかつたのであつて、同人が原告らの幸福を願つて育英財団を設立しようとしたのではないのである。同人はこれによつてとくに原告清水清明を被告会社の経営から排除しようとしていたのである。

(2)  原告清水清明は当時被告会社の専務取締役でありながら行方不明になることがしばしばあつたこと、被告会社の命運を賭した五割増資をしたとき、斜陽産業には興味がないといつて、その所有の被告会社の株式を全部売却したことによつて、亡千代二郎の信頼と愛情を失つてしまつたのである。そして亡千代二郎は、その子原告清水清明は自己が懸命な努力のすえ今日の隆昌に導いた被告会社の後継者としての器ではないと考えざるを得なくなつたのである。そして同人の所有する被告会社の株式三〇万余株を確固不動のものにして、他に適当な後継者に被告会社の経営を委ねようとしたのであり、この同人の信頼を得たのが被告広瀬英利なのである。

(3)  亡千代二郎は、遺言によつて財団を設立したいという意思があつたのであり、これによつて財団の設立が不可能であると考えていたことはない。同人は死後、財団設立許可までに株式の配当金が生ずることを十分知つていたから、遺言では運用財産がないということを考えるはずがない。

(4)  従つて亡千代二郎は、生前の財団設立許可申請が文部省で不許可処分を受けたとき、生前寄附行為を撤回し、遺言で財団を設立しようという意思になつたのであるから、同人の遺言は取消されてはいない。

一〇、仮に、原告ら主張の財団法人三桝育英会設立の生前寄附行為が遺言と抵触するとしても、遺言の効力は復活している。このことは、右の亡千代二郎の意思からみても明らかである。民法一〇二五条但書の趣旨を類推し、遺言者が明らかに遺言を取消す意思のないものであれば、遺言の復活を認めるべきである。本件について、亡千代二郎が生前の寄附行為をしたのも、単に遺言の趣旨を時期的に早めて実現しようとしたにすぎないことは、その経緯から見て明らかであり、又生前寄附行為が不成功に終つた時、遺言によつて財団を設立してほしい旨を告げてもいる。従つて正に遺言者の意思は、遺言の復活を希望していたものというべく、このような場合には、遺言の復活を認むべきである。加えて利害関係人の争いのない場合には、遺言を復活させるべきである。本件の原告らは、当初は何ら遺言の効力を問題にしていなかつたにもかかわらず原告清水清明が、その債権者の追求を受けはじめたため、これをのがれる目的で本件の如き訴訟を提起したものである。他の原告らは、あるいは得られるかも知れない利益のために原告清水清明に同調しているに過ぎない。

一一、同一方向論、法定条件論、復活論――右の被告らの主張を法律的に構成すれば、次の同一方向論、法定条件論、復活論になるのである。

(1)  同一方向論

亡千代二郎の遺言も、生前寄附行為も、一つの財団法人設立を目的とする寄附行為である。それは、ともに同一の目的を目指したものであつて、生前寄附行為は、遺言による寄附行為を時期的に早めて、生前に財団設立に着手したものである。亡千代二郎としては、生前寄附行為をやつてみて、できたらこれで設立しようという意思すなわち、生前寄附行為か、遺言かのどちらかで財団を設立したいという意思であつたので、生前寄附行為により遺言を不必要なものとして真実取消す意思であつたはずがない。遺言が取消される場合は、生前寄附行為によつて確定的にその目的を達した場合に限られるのであつて、それまでは、遺言を存続させる意思が亡千代二郎にあつたのである。この意味で生前寄附行為は、その目的が成就し、確定するまでは、遺言に抵触する効力を有しない。本件においては、生前行為は文部省の不許可処分によつてその目的を達せられずに終つているから、この生前行為の存在は、遺言に抵触するものとはならないのである。

(2)  法定条件論

寄附行為は主務官庁の設立許可を法定条件としているが、これは停止条件と同視すべきである。そして、この条件成就までは、生前寄附行為が遺言に抵触することはない。すなわち、寄附行為においては、設立許可があつてはじめて財産権の移転が生ずる意味で、右法定条件の成就により寄附行為の効力が生ずるといつてよいし、寄附行為者の意思は、設立許可があれば、財産を出捐しようという意思であるといい得る。

本件においては、亡千代二郎の生前寄附行為には、設立許可という法定条件が成就していない。亡千代二郎の意思の内容として、生前行為が不許可になれば遺言で財団を設立しようという条件附意思のもとに生前寄附行為に著手したのであり、この条件が成就していないことは右の通りであるから、生前処分は遺言に抵触せず、遺言は取消されていないのである。

(3)  遺言復活論

民法一〇二五条によれば、抵触する生前処分により取消された遺言は、右生前処分が効力を生じなくなるに至つたときでも、その効力が復活しないことを原則とし、ただ詐欺強迫によつて生前処分等がなされた場合のみを例外としている。この規定を文字通り受けとれば、右の例外の場合以外はすべての場合非復活主義をとらなければならないように解される。しかし、遺言者において第一の遺言に抵触する遺言又は生前処分をした後、更に明白に第一の遺言に復帰しようとする意思のもとに第二の遺言を廃棄し、又は生前処分を取消したことが認められる場合や、利害関係人が争いなく当初の遺言の復活を望んでいる場合にまで、非復活主義を固執すべきではない。このような場合については同条但書の趣旨を拡張ないし類推して、遺言の復活を認めるのが妥当である。

本件においては、前記のように、亡千代二郎が生前の寄附行為をしたのは、遺言の趣旨を時期的に早めて実現しようとしたにすぎないこと、そして又、生前寄附行為が不成功に終つた時、遺言によつて財団を設立してもらいたい旨被告らに告げていることからみて、亡千代二郎は、明らかに遺言の復活を希望していたのである。又、本件において、遺言の復活につき利害関係人も一致してこれを希望していることも、前記の通りである。

従つて、亡千代二郎の生前寄附行為が、遺言寄附行為と抵触する行為であり、右遺言が取消されたとしても、その効力は復活しているというべきである。

第三、立証<省略>

理由

第一、本案前の主張について

一、被告財団の当事者能力について

まず被告財団が、民事訴訟法四六条にいわゆる権利能力なき財団として、当事者能力を有するか否かについて検討する。

民事訴訟法四六条が、法人格を有しない財団であつても代表者又は管理人の定めあるものは、その名において訴え又は訴えられることができる旨を規定し、かかる権利能力のない財団の当事者能力を認めている理由は、社会の現実において法人格のない財団が発生し、社会活動を営んで取引関係に立つこともあるわけであり、この活動によつて他人との間に紛争衝突を生ずることもあり得るから、従つてこのような場合には卒直にこの種の財団の存在の事実を認めて、訴訟上これを当事者としようというにある。

そうすると、同条にいわゆる権利能力なき財団とは、一定の目的のもとに捧げられた特定の財産であつて、実質的に個人の帰属を離れた独立の存在として、すなわち寄附行為者の個人的財産から明確に分離されて管理運用され、社会生活上、一個の団体として取扱われているものをいうと解しなければならない。

本件についてこれをみるに、亡千代二郎が、昭和三一年一月一三日、当時同人が所有していた被告会社の株式三〇四、七六五株を出捐し、財団法人清水育英会の設立を目的とする公正証書遺言書を作成したこと、同人は右寄附行為中において、設立すべき財団法人の目的、名称、事務所、資産、理事の任免に関する事項を定めていること、理事については、被告会社の代表取締役、同会社の取締役一名、亡千代二郎の相続人であつて、同人の系譜、祭具、墳墓の所有を承継し祖先の祭祀を主宰するもの一名の合計三名と規定し、同時に理事を右遺言の執行者として指示していること、亡千代二郎は昭和三三年四月二二日死亡したこと、同人の死後、被告会社代表取締役の地位についた被告広瀬英利が、右遺言にもとずいて、遺言執行者に就任し、遺言寄附行為にもとずく財団法人清水育英会の設立をしようとして、自ら、右財団の設立準備委員長となり、右亡千代二郎の遺産である被告会社の三〇四、七六五株の名義を財団法人清水育英会設立準備委員長広瀬英利名義に書換え、亡千代二郎死亡後の被告会社の株主総会において、右株式にもとずく議決権を行使してきたこと、同人が財団法人清水育英会の設立許可申請をしたことは、すべて当事者間に争いがない。

また成立に争いない乙第一四号証の一、乙第二七号証中の証人米倉貢の供述部分、乙第二八号証中の証人溝口孝の供述部分などの証拠によれば、亡千代二郎は死亡当時右三〇四、七六五株の株式の他に、被告会社の株式八、五〇〇株その他の財産を所有していたが、同人の死後、右出捐株式を除く株式その他の財産については遺産として相続人らにおいて受領している反面、右出捐株式のみが遺産とは別個に取扱われていた事実が認められる。これらの事実からすれば、遺言寄附行為の出捐財産である前記三〇四、七六五株は、設立されるべき、財団法人清水育英会の目的財産として、千代二郎死亡後、遺産として相続人に渡された被告会社の株式八五〇〇株その他の財産と分離されてきたものであり、その株主名義も右財団法人設立準備委員長広瀬英利名義に書換えられ、しかも被告会社株主総会において同人名義で行使されてきたこと前記の通りであつて、右出捐株式は、寄附行為者亡千代二郎の個人的財産から明確に分離され、実質的に個人の帰属を離れた独立の存在として管理運用されてきたものということができる。更に、成立に争いない乙第八号証の二によれば、昭和三三年一二月一日附で被告広瀬英利が被告財団の設立準備委員長として文部省に対して設立許可申請をなしている事実が認められ、右被告広瀬英利が設立中の被告財団の代表者的地位に立つて行動していたものといいうるから、右設立中の被告財団は、前述のような目的財産の独立の存在とあいまつて、すでに社会生活上において一個の団体として取扱われているものと認めるのが相当である。

従つて、被告財団は民事訴訟法四六条にいわゆる権利能力なき財団として当事者能力を有するものと判断する。

二、当事者適格について、

(一)  原告らの本訴請求の原因は、本件株式等はもと訴外亡千代二郎の所有であつたところ、同人が昭和三三年四月二二日死亡したので、原告ら三名及び訴外清水英一が共同で相続したことを前提とする。

(二)  被告らは、分割前の相続財産はその相続人の合有に属し、これに関する訴訟は、すべて必要的共同訴訟であること、又仮に右が共有に属するものとしても、本件訴は、すべて必要的共同訴訟であることを理由として、本件において共同相続人の一人である清水英一が原告らに加わつていないから、本件訴は、当事者適格のない者の提起したものであつて、不適法として却下さるべきであると主張するので、次にこの点について判断する。

(三)  分割前の遺産が、共同相続人の共有に属するか、含有に属するかは、判例学説のわかれているところである。しかし、分割前の遺産が共同相続人の「共有」に属するものであれ、その「合有」に属するものであれ、その管理行為、保存行為については、民法二五二条が適用されると解する外はない。そうすると分割前の遺産の保存行為は相続人のうちの一人が単独でなし得ることになるのである。従つて原告らの本件訴には、亡千代二郎の相続人の一人である参加人清水英一が、原告になつていないけれども、これが本件株式等の保存行為といい得るならば、必要的共同訴訟にはあたらないということになろう。もとより訴訟提起行為自体が常に処分行為であると速断することはできない。それが処分行為であるかあるいは保存行為であるか否かは、あくまでもその行為の目的及び性質から判断されるべきである。

(四)  そこで本件について考えてみるに、原告らの本件訴のうち本件株式等の引渡を求める部分が、共有物の保存行為にあたることは原告ら主張の請求原因自体から明白であり、従つて、本件株式等の共有者の一人たる補助参加人清水英一を除く原告ら三名においてこれを訴求することは適法というべきである。

(五)  次に別紙目録(一)に記載した株式について、原告らが各四分の一宛の持分権を有することの確認を求める部分は各共有者の有する権利の確認を求めるものであつて、共有者全員が当事者となつてしなければならない共有関係の確認と異り各共有者が単独でこれをなし得るものであり、共有持分権の対外的主張としてもとより適法なものである。

(六)  すすんで原告らが別紙目録(一)の株式にもとずく配当金の支払を求める部分は、各共有者は、その持分に応じて共有物を使用収益する権利を有するものであり、その共有物から生ずる果実を収取する権利は右の収益に該当するものというべく、株式の配当金は株式から生ずる果実に他ならないから、これを収取する権利は各共有者がその持分に応じて単独でこれをなし得るものであつて、原告らの訴は適法である。

(七)  しかし本件株式について、原告ら三名と参加人清水英一との共有名義に書換えることを求める部分は、共有関係の対外的主張にほかならず、あたかも共有不動産について共有の登記を求める訴が、共有者全員でしなければならない必要的共同訴訟であると同様の理によつて、共有者のある者が単独でこの訴を提起した場合において時として敗訴の判決を受け、他の共有者に不利益を及ぼすことがあり得る。あるいはこれも保存行為であるといい得るかも知れないが、共有者の一部の者が、共有株式の名義書換の訴で敗訴した場合には、明らかに他の者に不利益であるにもかかわらず、保存行為ということになつて、不都合な結果を生ずることとなるのである。また、この共有株式の共有名義に書換を求める訴は、共有株式の管理行為にも属しないものである。従つて本件訴中の右の部分は、共有者全員が共同してしなければならない処分行為であるといわなければならない。してみると本件訴は、本件株式の共同相続人の一人である清水英一が原告として加わつていないから、右の部分は不適法たるを免れず、却下すべきものである。この点に関する被告らの主張は理由がある。

第二、本案について

一、原告清水清明、同米倉静栄、同溝口花子及び参加人清水英一は、昭和三三年四月二二日死亡した清水千代二郎の次男、長女、次女、長男であること、亡千代二郎は被告会社の創立者であり、死亡するまで同会社の代表取締役であつたこと、本件株式は被告会社の株式で亡千代二郎の所有に属していたこと、原告ら主張の財団法人三桝育英会設立許可申請書および千代二郎の預金通帳も亡千代二郎の所有に属していたこと、被告広瀬英利および被告財団被告会社が本件株式等を占有していること、本件株式の名義は、財団法人清水育英会設立準備委員長広瀬英利名義に書換えられ、同人は被告会社の株主総会において右株式の議決権を行使していたこと、本件株式のうち別紙目録(一)の株式の配当金は第二一期(株主総会の利益金処分の決議の日は昭和三三年一一月二八日)及び第二二期(同昭和三四年五月二九日)とも各三九二、八六八円であること、亡千代二郎は昭和三一年一月一三日当時所有していた被告会社の株式三〇四、七六五株を出捐して、別紙第一記載の財団法人清水育英会設立を目的とする公正証書遺言書を作成したこと、亡千代二郎は右遺言書を作成した後、同人が日頃から尊敬していた訴外伊藤忠兵衛から生前に育英財団を設立することをすすめられ、亡千代二郎は、同人所有の現金二〇万円と同人が当時所有していた被告会社の株式二〇万株を出捐して、別紙第二記載の財団法人三桝育英会の設立に著手し、昭和三一年一一月二八日付でその設立許可申請が三重県教育委員会を通じて、同年一二月二五日付で主務官庁たる文部省に対してなされたこと、右の設立許可申請書は、昭和三三年三月二四日付の書面で亡千代二郎宛、文部省から、運用資産を五〇万円とすること役員構成を変更することを求めて返戻されてきたこと、亡千代二郎の遺言にもとずいて、被告らのなした財団法人清水育英会設立許可申請書も文部省から返戻されていること、これらの事実は当事者間に争いのないところである。

二、そこでまず、亡千代二郎の遺言の効力について判断する。

右の遺言後に亡千代二郎がした生前寄附行為が、遺言寄附行為に抵触する「生前処分その他の法律行為」にあたり、それ故に遺言寄附行為が取消されたものとみなされる否かについていて検討する。

亡千代二郎は一つの育英財団の設立を企図していたものであつて、二つの育英財団を設立する意思はなかつたものであること、亡千代二郎としては遺言による育英財団の設立を前記訴外伊藤忠兵衛のすすめにより時期を早めて、生前にその設立をしようとしたものであること、従つて遺言寄附行為によるものも生前寄附行為によるものも同一の目的と設立趣旨に立つており、その出捐財産については、亡千代二郎は、遺言による三〇四、七六五株以外に生前寄附行為の二〇万株を所有しておらず、右二つの寄附行為の出捐財産は、共通しているものであることは、弁論の全趣旨からうかがわれるところである。而して、これらの事実によれば、遺言寄附行為と生前寄附行為とは、その内容を実現することにおいて、両立しないものであると考えられる。

民法一〇二三条二項にいわゆる「抵触」とは、遺言後の生前処分等が、その内容自体において前の遺言と明白に抵触する場合、すなわち、後の生前処分を実現するときは、前の遺言の執行が不能になる場合をいうのである。従つて、本件の場合遺言後の生前寄附行為は、遺言寄附行為に抵触すると解する他はない。被告らは、遺言寄附行為及び生前寄附行為において、亡千代二郎が企図した育英事業に同人が出捐した財産は、当時同人が所有していた被告会社の株式三〇四、七六五株、若くは二〇万株というのであつて不特定物であり、遺言に抵触する生前処分といい得るためには、その目的物とされた財産が特定物であらねばならないから、本件においては遺言に抵触する生前処分は存在しないと主張する。しかしながら、同人の右の二個の寄附行為の寄附財産が同人の所有する被告三桝紡績株式会社の株式であつたことは前記のとおり当事者間に争いなく、弁論の全趣旨からうかがえる如く、同人は一代にして産をなした事業家であつて、投機を事としたこともなく、同人が生前寄附行為に出捐した財産は、被告会社の株式であり同人の所有していたもので遺言をした時から死亡した時まで株価の上下によつて売買したこともなかつた(多少買い足したことが成立に争いない、乙第一四号証の一その他によつてうかがわれる)のであつて二個の寄附行為の出捐財産は、「亡千代二郎が所有していた被告会社の株式」として、特定物と考えられる。従つて、亡千代二郎が、その所有していた株式を出捐して育英財団を設立する旨の遺言をしながら、後になつてその所有株式の約三分の二を出捐して自ら育英財団の設立に著手したことは、遺言と抵触する生前処分であるということができ、同人の遺言は、その生前処分によつて取消されたものとみなす他はない。次に被告らは、寄附行為は、財産処分としては、主務官庁の許可があつてはじめて成立するものであつて、それまでは「生前処分」その他の法律行為たりえないと主張するが、寄附行為は一定の財産を出捐し法人の根本規則を定めて書面を作成するという単独行為たる法律行為であつて、そこにはすでに財産を出捐する意思と行為とが含まれており、主務官庁の設立許可以前であつても財産の処分行為として存在するものである。すなわち、遺言寄附行為をした後に、生前寄附行為をすれば、それだけで「生前処分」をしたことになるといわなければならない。

民法一〇二三条二項が、遺言後の生前処分により遺言が取消されたものとみなしているのは、遺言後の生前処分のうちに、それが、遺言に抵触する内容をもつが故に、遺言者は、遺言を取消す意思があつたのであろうと推定されることにある。すなわち、遺言取消自由の原則からこの意思の推定を重視し、遺言取消の便法を認めようというのである。従つて、その法意からすれば、同条は、遺言に抵触する生前処分があるということだけで遺言の取消を擬制するものであつて、それが目的と法律効果を生じてはじめて遺言が取消されたものと擬制するというものではないのである。それ故、遺言寄附行為をした後、それの目的財産と同一の財産を出捐して、生前寄附行為をしたということだけで生前処分としての存在をもつに至るのであるから、主務官庁の許可によつて財団法人が設立され、出捐財産が右財団に帰属するという法律効果を生ずるまでもなく生前処分に抵触する遺言は取消されたものと擬制されることになるのである。本件において、亡千代二郎の生前寄附行為は、まだその目的を達成していないことは前述のとおりであるが、これがなされた以上は、そのなされたこと自体によつて、これと抵触するその前の遺言寄附行為は取消されたものといわざるを得ない。

右の判断に反する被告らの主張は採用しがたい。

三、右のように、亡千代二郎の遺言後の生前寄附行為は遺言に抵触する生前処分である。

被告らは、右の亡千代二郎の生前寄附行為が、主務官庁である文部省から不許可処分を受けたことにより、「生前処分」として存在しなくなつている旨を主張する。右の主張は、被告らの他の主張をあわせ考えると、文部省による設立不許可処分によつて生前寄附行為をもつて財団を設立することは不可能になつたのであるが、かかる場合、亡千代二郎の意思としては、遺言寄附行為によつて、財団を設立しようという意思を有していたであろうから、生前処分によつて取消を擬制された遺言の復活を認めるべきであるという主張と解される。けだし、前述の如く、生前寄附行為がなされたこと自体によつて遺言の取消が擬制されるのであるから、生前処分の目的不到達によつて、当然に遺言取消の擬制がなくなつてしもういわれはないのであつて、結局このような場合には、取消を擬制された遺言寄附行為の効力が回復するかどうかの問題すなわち遺言の復活の問題に帰着するのである。又亡千代二郎が、生前寄附行為による財団設立が不可能になつたときその意思を放棄し、遺言によつて財団を設立する意思になつたという主張も右と同様、生前処分によつて取消を擬制された遺言の効力が復活するという主張と解される。更に被告らが法律論として主張する同一方向論、法定条件論も同様復活論であると解される。けだし、いわゆる同一方向論についていえば、遺言寄附行為と生前寄附行為とは、いずれも育英財団を設立するという同一の目的を目指していたものであるとしても、その内容の実現において両者は両立しないものである以上は、生前寄附行為が文部省の不許可処分によつてその目的を達しなくなつた時においては、亡千代二郎の意思は、生前処分によつて取消を擬制された遺言の効力を復活させるにあつたということになるのであつて、結局は遺言復活論に帰着する。又法定条件論についても、財団法人の設立は、主務官庁の設立許可があることを必要とするものであるが、寄附行為における行為者の意思としては、主務官庁の設立許可の有無とは独立にその財産を出捐しようという意思が確定的に存在するものであるから、寄附行為がなされたこと自体によつて抵触を生ずることに変りがない。とすれば、いわゆる法定条件論として主張されているところは、ただ生前寄附行為が設立許可を得られなかつたときには、遺言者としては、取消を擬制された遺言の効力を復活させ、遺言によつて財団を設立しようという意思をもつにいたつということであり、従つて、やはり遺言の復活論に帰着するといい得る。

このように被告らの主張は、全て遺言の効力が復活するということにあるといい得るのであるから、以下、生前処分によつて取消を擬制された、亡千代二郎の遺言が復活したか否かについて判断することとする。

四、民法一〇二五条は、生前処分によつて取消された遺言は、その生前処分が取消され、又は効力を生じなくなるに至つたときでもその効力は回復しない旨を規定し、いわゆる非復活主義をとつている。遺言者が遺言後にした生前処分が取消されるか、又はその効力を生じなくなるに至つたときは遺言を復活させるかどうかは、遺言者の意思を解釈してきめるのが本来であるが、遺言の効力が問題になるときは、遺言者が死亡しているのが通常であるので、この解釈は、非常に困難であり、利害関係人に争いを生じやすくなるので、民法は一律にその効力を復活させないこととして非復活主義をとつたのである。ただ同条但書は、生前処分が詐欺又は強迫によつてなされ、右原因にもとずいて遺言が取消された場合には、例外的に非復活主義を排除して復活主義をとつている。これは、このような場合には、遺言者の真意が、遺言を取消すものではないことが、客観的に明らかであり、当然遺言を復活すべきものと考えられるからに他ならない。従つてその法意からすれば、右のような場合でなくとも、遺言後にした生前処分が取消され又は効力を生じなくなるに至つたときで、かつ遺言者の意思が客観的に争う余地のないほど明白に遺言の復活を希望しているとみられる場合についても、非復活主義を固執すべき理由はなく、かかる場合については、同条但書を類推して、遺言の復活を認めるのが相当であると解される。

ところで、本件において被告らの主張は、前述の如くいずれも遺言の復活の主張に帰着し、亡千代二郎が生前寄附行為によつて、その目的を達し得なかつたときは、遺言寄附行為によつて育英財団を設立する意思であつた。あるいは、生前寄附行為による財団設立をとりやめ、遺言寄附行為によつて、育英財団を設立する意思であつたというのがその中核をなしている。よつて以下問題の中心点である亡千代二郎の意思について、判断してゆくこととする。

(1)  亡千代二郎が育英財団を設立しようと思いたつた動機は、国家社会に有為な人材を養成しようとしたことにあることは、当事者間に争いがない。又それと同時に、同人の創立した被告三桝紡績株式会社の健全な隆昌を望み、そのために自己の所有していた同社の株式を寄附財産として育英財団に出捐し、よつてその固定不動化を企図したことは成立に争いのない甲第六号証(乙第二号証の二に同じ)によつて認められるところであるが、その他に被告らが主張する如く、同人はその子供らである原告らの幸福を念願しておらず、本件株式を子供らに相続させたくないという意思であつたであろうか。従つて原告清水清明についていえば、亡千代二郎としては、本件株式を同人ほか子供らに相続させないことにより、被告会社の経営から原告清水清明を排除しようという意図を有していたものであろうか。この点に関し、前記甲第六号証(乙第二号証の二)及び成立に争いのない乙第三号証によれば、育英財団の設立趣旨として「……子供たちにもそれぞれ相当の教育もし、財産も残してあるので今ではほかに何も望むところはないが……」という記載があり、更に証人伊藤忠兵衛の証言には「財団設立の動機は子孫に美田を買わないということである」との供述、「自分(亡千代二郎のこと)の子供らに三桝紡績のあとをまかせるということは、亡千代二郎から聞いたことがない」という供述、同人の証言によつて成立の認められる乙第四号証中にも右にそう記載がある。これらによれば亡千代二郎は、その子供達に本件株式を相続させたくなかつたことが認められないでもない。

しかし、他方亡千代二郎は原告清水清明を昭和三一年から再び被告会社の取締役としたこと、同人の経営すする日本新棉花株式会社に対して財政的な援助をしていたことが成立に争いない甲第一六号証及び同二〇号証中の原告清水清明本人の供述部分、乙第二一号証中の証人上田九一の供述部分によつて認められ、又前記甲第六号証(乙第二号証の二)によれば、遺言寄附行為の理事予定者として長男である参加人清水英一を加えているのに乙第三号証によれば生前寄附行為の理事として原告清水清明を加えていることが認められ、これらの事実によれば、亡千代二郎が原告清水清明に対する愛情や信頼を失つてしまつていたとは考えられない。亡千代二郎としては、同人が創立した被告三桝紡績株式会社の後継者としてやはり同人の子供である原告清水清明にさせたかつたのであろうが、同人は過去に持株を売却したことで、亡千代二郎の怒をかつたことが成立に争いのない乙第二一号証中の証人上田九一の供述部分によつて認められるので、亡千代二郎は将来もそのおそれがないともみられないと考えて被告会社の安泰と亡千代二郎の後継者の地位の安定のため自己の持株を散逸しないように、固定不動のものにしておこうという意図のもとに育英財団の設立を思いたつたとも考えられないでもない。

(2)  次に亡千代二郎が遺言寄附行為をした後生前寄附行為をするに至つた動機について考えてみよう。同人が生前寄附行為をするに至つた動機として、訴外伊藤忠兵衛のすすめによるものであることは、当事者間に争いがない。なお、亡千代二郎が出捐財産を三〇万余株から二〇万株に減じたことも当事者間に争いがないところであつて、その理由としては、成立に争いない乙第二〇号証の証人辻井正之の供述部分及び証人伊藤忠兵衛の証言によれば、亡千代二郎が自己の収入、会社における地位等を考えて、持株の一部を留保したものであることを認めることができる。ところで、被告らは、亡千代二郎が前記訴外伊藤忠兵衛のすすめによつて、不本意ながら生前に財団を設立しようと生前寄附行為をしたものであつて、その真意は遺言によつて財団を設立するにあつた旨を主張する。しかしながら、前記証人伊藤忠兵衛の証言によれば、亡千代二郎は自我の強い人物であつたので訴外伊藤忠兵衛には、それほどその設立について促進の依頼はしなかつたことが認められるにしても、同人は文部省に対し生前寄附行為に基く財団設立の許可申請をした後に、文部省から設立趣旨書の文言の訂正、育英会の名称の変更、理事の構成等について行政指導がなされ、亡千代二郎がそれぞれこれに対する措置をとつていたことが成立に争いない甲第一五号証中証人西田亀久夫の供述部分、前記乙第二〇号証中の証人辻井正之の供述部分、乙第二一号証中の上田九一の供述部分等によつて認められるので、亡千代二郎の生前に財団を設立するという熱意はとにかくとしてその意図があつたからこそかかる措置をとつたのであつて、これは亡千代二郎がせつかく、遺言寄附行為をしながら訴外伊藤忠兵衛にすすめられて心を動かされた結果生前寄附行為をなしたからに他ならないものと推認せざるを得ない。右に反する乙第二一号証中の上田九一乙第二二号証中の被告広瀬英利本人、乙第四三号証の一、二、中の吉田茂雄乙第四四号証の一、二中の福田シナの各供述中には右に反する部分があるけれどもこれらは前記証拠に照してたやすく措信しがたく、結局被告らの主張は採用しがたい。

(3)  次に、亡千代二郎は生前寄附行為の財団設立許可申請の書類が文部省から返戻されたことによつて、生前寄附行為をする意思を放棄し、遺言寄附行為によつて財団を設立しようという意思になつたかについて検討する。

同人が生前寄附行為による財団設立許可申請書の返戻理由を知つていたものであるということは、成立に争いない乙第六号証、前記乙第二一号証中の上田九一の供述部分によつて認められるところである。これによれば、育英財団の設立には運用資産として少くとも五〇万円以上が必要であることがわかつていたのであるから、その記載の全くない遺言寄附行為によつて財団を設立することは極めて困難であると考えたことが容易に推認できるのである。そして、その返戻理由の内容としては、運用資産を二〇万円から五〇万円にすること並に会社役員との兼職理事を減員することであつたのであり、このことは、当時の亡千代二郎の資産及び被告会社における地位から考えて、生前寄附行為をとりやめるほどの重要な問題であるとは考えられないところである。もつとも、右書類の返戻後、亡千代二郎が死亡するまで、何らの措置もとられていないことが弁論の全趣旨によつて明白であるが、右の返戻から、同人の死亡までの期間は、同人が文部省に生前寄附行為による財団設立許可申請をしてから右書類が返戻されるまでの期間に比して極めて短い期間であり、しかも前記甲第一五号証によつて認められるように設立許可申請後、返戻までの期間における文部省との連絡回数が少なかつたことを考え合わせると、右の期間に、何らかの措置あるいは手続がとられていないということだけで、亡千代二郎が生前寄附行為による財団設立の意思を放棄したと考えるわけには行かない。

かえつて、前記のとおり、同人は文部省からの書類の返戻によつて、運用資産について全く記載のない遺言によつては、財団設立はおそらく出来ないであろうと考えたことが推認できるのであるから、もし同人が生前寄附行為をとりやめて、遺言のとおりの財団を設立しようと考えていたのであるならば、新しい遺言書を作成する等の何らかの措置をとつたはずである。前記書類の返戻後、同人が死亡するまでの期間がきわめて短かかつたために何もできなかつたとするならば、もつと期間があれば何かしたであろうと推認させるものがなくてはならないがこの点に関し、前記乙第二〇号証ないし二二号証、四三号証の一、二、四四号証の一、二はたやすく措信しがたく、他にこれを認めるに足る証拠はない。

(4)  右のように考えてくると、亡千代二郎は生前寄附行為による財団設立許可申請書が文部省から返戻された後、生前寄附行為による財団設立の意思を放棄し、以後は遺言寄附行為によつて財団を設立しようと考えていたという事実は認めることはできないし、また、生前寄附行為による財団設立が目的を達しえないときは遺言寄附行為によつて、財団設立をはかる意思であつたとも認めることはできないのである。右の事実を中核とする被告らの主張は、その余の点を判断するまでもなく理由がない。

五、従つて、本件株式は、一たん亡千代二郎が遺言寄附行為によつて財団設立のための出捐財産としながら後にこれを生前寄附行為の出捐財産として財団を設立しようとし、これに著手したのであるから、右遺言は取消されたものとみなされ、かつその効力を回復していないということができるから、本件株式は、遺言寄附行為の出捐財産になつていないこと明らかである。してみれば、亡千代二郎の右遺言は本件株式についての被告らの占有権限を理由ずけるものではないことになるのである。

しかし、本件株式のうち二〇万株は、亡千代二郎の生前寄附行為の出捐財産になつているのであるから、原告らは同人の相続人として、同人の遺志をついで育英財団を設立しなければならないこと、もちろんであるが、その設立許可があるまでは、一応同人の相続人である原告ら三名及び参加人清水英一の共有に属するものであるということができ、原告らは、被告らに対して共有物の保存行為として本件株式の引渡しを求める権利を有するのである。又原告ら三名は、別紙目録(一)の株式について各四分の一宛の共有持分権を有することも明らかである。

又別紙目録(一)の株式にもとずく配当金も、この株式が亡千代二郎の遺言寄附行為の出捐財産となつていないこと右の通りであるから、原告らは、この配当金についても、各四分の一宛の持分権を有しており、被告会社は原告三名に対して、それぞれ亡千代二郎死亡後の第二一期及び第二二期の配当金の四分の一宛(各期とも九八、二一七円)及びこれに対するその利益金処分の決議をした日、すなわち、被告会社が配当金を支払うべき日である第二一期の昭和三三年一一月二八日、第二二期の昭和三四年五月二九日の各翌日から民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があることも明白である。

又被告広瀬英利は、亡千代二郎の遺産である財団法人三桝育英会設立許可申請書および亡千代二郎の預金通帳につき、これを占有すべき何らの権限も認められないのであるからこれらを亡千代二郎の相続人である原告らに引渡すべき義務のあることも明らかである。

第三、結論

以上の如く、原告らの本訴請求は、被告会社に対して、本件株式につき原告ら三名と参加人清水英一の共有名義に書換えを求める訴は、原告らに当事者適格がなく不適法なものとして却下を免れないがその余の請求はすべて理由があるから正当なものとして認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九二条但書、九三条一項但書を適用し、主文第三項の仮執行宣言につき同法一九六条一項を適用し、主文第二項、第四項、第五項の仮執行は不相当と認め、これを附さないこととする。

よつて主文の通り判決する。

(裁判官 新関雅夫 松本武 高橋爽一郎)

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